石の2 東北の幕末…世良修蔵がごときに


東北1 仙台から、南の福島方面へドライブすると、国道4号の傍ら、
白石市手前の丘に「世良修蔵の墓」という看板がチラと見える。
歴史に興味がある人ならば、「ほお」と唸るはずである。
幕末・長州の人間であり、この地で暗殺されて果てた。

幕末の大河ドラマで、戊辰戦争の東北に場面が移ると、
決まって、傲慢で、威張り散らす官軍の大将が出てくるが、
それが、世良修蔵であり、たいてい悪役である。
NHK大河では、泉谷しげるがやっていたが、なるほどである。
その人間性を、司馬遼太郎も、短編「斬殺」の中で、
殺されて当然の人間のように、ボロクソに描いている。
ところが、詳しく調べると、少し同情も起こる。

明治維新に繋がる戊辰戦争は、京都から始まるわけだが、
薩長側が錦の御旗を押し立てると、大阪城にいた徳川慶喜は、
賊軍にされるのはゴメンとばかりに、さっさと江戸に戻り、
さっさと恭順、蟄居してしまうのである。この時点で官軍
に寝返る藩が相次いだ。やがて江戸城も開城した。となると
西日本は全て官軍の味方であり、残りは東北である。

薩長は幕藩体制を徹底的に潰すために、会津藩だけは
許すことがなかったが、その他の東北諸藩には微妙な雰囲気
があった。中央から遠いために情報が入りにくいこともあるが、
各藩に尊王派と、佐幕派とが対立していて、藩主も家老も、
迷いに迷っていたのである。薩長が権力を握りつつある
ことはわかるが、まさか幕藩体制がすぐに崩壊するとは
なかなか信じられないのである。

そういう東北のど真ん中の仙台に、薩長は、適当な宮様を
頭につけて、わずかな軍隊を、神戸から軍艦に乗せて
送り込むのである。使命は、東北全体を官軍につけて
会津攻撃を行わせることである。最初、その役目を
東北3 薩摩は黒田清隆、長州は品川弥次郎という、それなりの
人物に指名したが、二人とも「冗談じゃない」と、きっぱり断る。
京都の新政権は発足したばかりであり、足元も不安定なのだ。
しょうがないので、遥か格下の世良修蔵にやらせることに
なった。引き受けた彼は、鬼にならざるを得なかった。

神戸から軍艦でやってきた彼らをとりあえず、
仙台藩としては丁重にお迎えしたのだが、宮様はとにかく、
参謀としてやってきた世良修蔵というのが何やら異常に
威張っている。しかも、連れてきた軍隊というのが、たかだか
500名である。それで、数十万の兵力を持つ東北諸藩に
命令を下そうというのである。
仙台藩はあきれてしまった。

しかも、もっとあきれたことには、世良修蔵という人物、
元々は士分でもなく、出身は漁師もどきだという。
長州では奇兵隊という、身分にかかわらず作った軍隊が
あり、その中で出世したのだというが、そういうものが
公家を頭に置くだけで、仙台藩主に対等どころか
「会津を討て」と恐喝まがいの言葉を発するのである。
東北4 しかも、彼が連れてきた兵隊というのが、これまた
札付きのヤクザもんばかりだったので、傍若無人で
忌み嫌われた。当然ながら、仙台藩士の怒りが渦巻き
官軍に反抗する機運となったのである。それに、
東北諸藩は、最初は、会津に対して降伏を勧め、
会津も納得して「頼む」と依頼したのだが、
その周旋ですら、ニベもなく拒否したのが世良修蔵だった。
彼は薩長の方針通りにしたに過ぎないのだが、どうにも
人物が小さ過ぎたようである。

堪忍袋の緒が切れた東北諸藩は仙台藩を中心として、あくまで
薩長に対決しようと決まり、奥羽列藩同盟を立ち上げる。
その時点で、世良修蔵を斬ることが決まる。
場所は、現在の福島市の旅籠で、秘書と二人でさんざん
酒を飲み女と寝ているところを、仙台藩士と福島藩士に
よって踏み込まれ、捕えられ、河原で斬首された。
(2009年3月)

石の3 目次に戻る