石の2 渋谷駅前スクランブル交差点


渋谷1 渋谷のスクランブル交差点が、日本ファンの外国人の間で話題に
なっているという。要するに、ものすごい人混みだと驚いているのだ。
信号が青になり大群衆が行き交う様子を誰かが、YouTubeに
投稿し、世界に配信され、それをネット上で観た海外の人々が
様々なコメントを寄せているのだ。
「なんでこんなに人が多いのだ!」「よく、ぶつからないものだ!」
「どうして喧嘩にならないのだ!」などという意見が多い。

ぼくは学生時代は京王線の笹塚に住んでいたし、井の頭線もよく
利用したので、渋谷に出る機会は多かったが、スクランブル交差点を
特別にそういう風に感じたことはなかったが、地方在住の若者が東京
に観光に来て、いきなり渋谷に降り立った場合、「何かお祭りをやって
いるんだろうか?」と思ったという話は、よく言われる冗談である。

確かに一回の信号で、四方から行き交う人数が400人と言われる
から、数からみると、日本一か世界一かもしれないが、それよりも
外国人が驚くのは、人々が逆方向から来る人々の歩行を妨げること
もなく、するりするりと行き交い、信号が黄色になると、遅い人は
小走りになり、赤になるとすぐに、止まっていた車が何の妨げもなく
走りだせることだという。そういう風に、みんなが整然とルールを
守って、誰かに命令されることもなくコントロールされた動きをする
というのが、外国人にとって一番の驚きなのだ。中国でもインドでも
南米でも、ほとんど実現できない現象なのだという。

いわば、渋谷駅前のスクランブル交差点というのは、そういう、
ルールを守り、他人に優しい日本人らしさの象徴になりつつある。
というわけで、若い外国人観光客の中には、そこに行ったよと自慢
渋谷2 するために来る人もいるし、そこで写真を撮るためだけに来る人
も多いようで、そこを見下ろせるスターバックスコーヒーの店は
ものすごい賑わいだという。ただ、そういう若者に混じって、老年
の外国人夫婦が雨の日にそこでコーヒーを飲みながら、傘の動き
を観る度に「日本人の思いやり」を感じるという話もあった。

雨の日に、上からスクランブル交差点を眺めていると、信号が青に
なる度に行き交う傘がみんな巧みに前から来る人を避けて歩き、
それはまるでミュージカルの踊りを観ているようだという。日本人なら
当たり前のそういうことが、外国人にとっては、まるで魔法に見える
らしいのだ。だから、それを観ているだけで癒されるという。人間の
性質の良い部分だけを抽出して見ている気分になるという。
だから、外国人観光客にとって、浅草や銀座、秋葉原と並んで、
渋谷のスクランブル交差点は是非、行ってみたい観光スポットに
なりつつある。

そして、ぼく自身は1970年代の学生時代から、渋谷のスクランブル
交差点は何度も歩いているのだが、ある時、赤信号で止まっていて、
青になり歩き始めた時、向こうの先頭に歩いてきた人物に気付いて
目が点になってしまった。ジョン・レノンとオノ・ヨーコだったのだ!。
その頃、レノンとヨーコは軽井沢の万平ホテルに滞在していて、
たまたま渋谷に出てきたのだろう。とにかく、ぼくが歩く先の真正面
から二人が歩いてきて、スクランブル交差点のど真ん中で、二人と
バッチリ目が合ってしまったのだ。もちろん、そのまま行き交ったわけ
だが、ビートルズの音楽と共に青春を過ごしてきたぼくにとっては、
あの一瞬は今となっては、かけがえのない個人的大事件となった。
その翌日さっそく友人に話したら、へえー!と言いながらも、それほど
騒ぎはしなかった。まさか、数年後にジョンが殺害されるなんて思わ
なかったからだろう。殺害されたのは1980年12月8日のことだ。

渋谷4 ジョン・レノンがNYで殺害された時のニュースはよく覚えている。
最初に知ったのは、仕事が終わり銀座の地下鉄駅に降りた時だ。
キオスクに並んでいる夕刊フジがやたらと目立つ大見出しになってい
ると思ったら、バカでかく「ジョン・レノン暗殺される」と書いてある。
本当に驚いたものだった。食い入るように記事を読んだものだ。
地下鉄で吊革につかまって記事を読んでいたら、その見出しをみた
椅子に座っていたOLも「ええっ!」と隣の同僚をつついて叫んでいた。
ぼくの世代において、ザ・ビートルズの存在というのは大きい。
世界の音楽環境を変えただけでなく、ぼくらの青春のBGMだった。

実は今回の渋谷のスクランブル交差点の話を書いたのは、実は
そこで、ぼくが、ジョンとヨーコと真正面から目を合わせたという
ことを、とにかく書き残したかったのだ。
しかし、あれからもう40年近くになる。今の若い人にとっては、
それがそんなにすごいこと?となるだろうが、ぼくらの世代にとっては
すごいことなのである。
(2013年)

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