石の2 「紫電改のタカ」、撃墜王・菅野直

紫電改3 宮城県南部の角田市を散歩していたら、郷土資料館があったので、
入ってみた。知らない街を散歩するのはとても楽しいもので、どんな
田舎の寂れた街でも、江戸時代には一つの藩で、城があり、城下町
があったりする。そして、たいていはどこも小さいながらも郷土資料館
を持っているものである。昔の庄屋の屋敷とか、豪商の蔵とかが当て
られていることが多い。角田市の場合も、昔の大地主であった氏家
(うじいえ)家の屋敷や蔵を、郷土資料館に提供している。この氏家家
というのは、後に仙台で七十七銀行を創始したという豪商であった。

その展示を眺めると、氏家の事業や、当時のこの辺の農民の暮らし
や祭りの様子がよくわかるので感心していたら、郷土の有名人として
「菅野直(かんの・なおし)」のパネルがあったので、ぼくは「ほお!」と
驚いた。彼は太平洋戦争の「最後の撃墜王」として有名な人物なので
ある。その説明を補佐する意味で、戦闘機・紫電改の模型が置かれて
いたが、実は全く同じものを、ぼくの部屋にも飾ってあるのだ。

それはDeAGOSTINIという会社が作っている金属模型モデルである。
この会社のやり方は、ある乗り物の精巧な模型一体を買わせるために、
毎月、部分を少しずつ売り出してゆき、10冊くらいが揃ったら、やっと
紫電改2 完成するというものである。ただ、最初だけは安くして2回目から値段を
上げる。それにつられて買っていくと、最後には数万円を出すことになる
という仕組みである。ところが、ある時、第二次大戦の戦闘機の完成体を、
毎回一機づつ付けて最終的には、世界の名機を揃えられるシリーズを
やった。その最初の戦闘機が紫電改であり、それだけが980円。それ
以後の戦闘機は1850円である。これは紫電改だけを買うしかないと
思った。それで紫電改が我が部屋にあるのだ。

そして、この紫電改には、黄色の派手な斜めの線があり、日の丸にも
15という数字が書き入れられてある。実はこれは、菅野直の愛機を忠実
に再現しているのである。それは、隊長機だと示して敵機を自分に引きつ
けるために、ワザと付けたものなのである。

ぼくがこの、紫電改の撃墜王の存在を初めて知ったのは、1963年に
封切られた東宝映画「太平洋の翼」である。
日本国土がB29から爆撃されるようになった戦争末期の話で、特攻と
いうヤケのヤンパチをしていた中で、航空幕僚の一人、源田実だけは、
生き残ったベテランパイロットを各地から集めて、最新鋭の戦闘機である
紫電改2 紫電改を与えて、迎撃をしようとしたのである。それが、四国松山に実現
した343航空隊だった。それが、かなりの撃墜数を残したことにより、
伝説化されて映画にもなったのだ。

映画の中で、実名ではないが、菅野大尉を演じたのが加山雄三である。
源田実を演じたのは三船敏郎である。ぼくはこの映画によって、紫電改
という戦闘機がいかに優れた機種だったかを初めて知った。そして、その
映画の封切られた年に、少年マガジンで、ちば・てつやの「紫電改のタカ」
という、戦記物の連載が始まる。実話とはかなり違うが、こちらも343航空
隊の活躍を描いたものであり、ぼくはこのマンガが大好きであり、その
主人公も、菅野直をモデルにしていたのである。

怖いもの知らずで、常に奇抜な攻撃を行って、猛将と言われた菅野だったが、
最後は翼の機関砲が爆発を起こして戦死した。23歳だった。二階級特進で
海軍中佐となった。映画「太平洋の翼」も、少年マガジンの「紫電改のタカ」
も、小学生のぼくが夢中になった太平洋戦争ものであり、当時の男の子は
みんな太平洋戦争の戦記物のマンガや読み物に夢中だったのだ。だから、
ゼロ戦の21型と52型の装備の違いやら、ミッドウェーの敗戦の原因なども
子供のくせに皆が知っていたのである。

そういう子供達が、1970年の大学生になると、左翼学生になって反戦デモ
をやることになったのだから、この世はわからない。そして、後にソビエトが
崩壊し、中国が天安門事件をきっかけに、反日政策を取るようになってから
紫電改4 は、ボクは共産主義にさっさと見切りをつけて、保守的になった。
しかし、当時の反戦学生の一部は今も、左翼のままであり、安倍自民党を
許さないとか叫んで白髪頭を並べてデモをやり、沖縄に出張しては米軍基地
反対だのと叫んでいる。なんか笑ってしまう。

ぼくの長崎の親友の息子は、航空自衛隊に入り、今では、F15のパイロット
である。あれはかなり優秀でないとなれないものであり、トンビがタカを生んだ
と仲間内では有名である。中国は毎日のように挑発行為を続け、それにより
航空自衛隊のスクランブルが増え続けているというが、頑張って欲しいもので
ある。しかし最近まで、その父親である親友が、朝日新聞を読んでいたという
ので、みんなでバカヤロウと言ったことがある。朝日新聞を昔の常識というか、
ほとんど信仰のように、大新聞であり、その言うことには間違いないだろうと
彼は思っていたのである。だからトンビなのである。ぼくらは朝日新聞というのは
共産党の機関紙の「赤旗」とほとんど内容が変わらないぞと教えてあげた。
そこで彼もやっと朝日新聞の購読を辞めたのである。なにしろ彼は、
〇〇市自衛隊家族会の会長なのである。
(2018年2月)


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