石の2 椎名誠…アウトドアブームの火付け役

椎名誠1 1980年代というのは、日本においてあらゆることの沸騰時代だった。
経済バブルで札束が乱れ飛んだ時代だったし、その一方で怪しげな
精神世界がブームになったし、山歩きやキャンプなどのアウトドアが
ブームになった時代でもある。そして、その野外生活ブームに拍車を
かけたのが、椎名誠というエッセイストである。

この人は元々、新橋にある業界新聞紙のサラリーマンだったが、
業界新聞のノウハウを覚えると、仲間達と本に関する評論や紹介をする
「本の雑誌」という雑誌を立ち上げた。わずか数人の会社であり、もちろん
読者がそうそう見込めるものではなかったが、好きなことをやっていこうと
いう仲間でやり始めた。その中で文章の穴埋めのために、ある時、椎名が
エッセイを書いた。すると、これがわりと人気があったので、本にして出して
みた。それが大ヒットした伝説のエッセイ「さらば国分寺書店のオババ」である。
これを読んで誰もが思うのが、こんなに自由に書いていいの?こんなん
ならオレにも書けるよという文章である。しかし、これはコロンブスの卵で
あって、最初にやった者の勝ちなのである。それほどまでに軽妙であり、
おもしろかったのだ。その文体は「昭和軽薄体」と呼ばれ、その文体を
駆使した彼のエッセイは書けば書くほど次々に売れたのだ。

そして大手出版社が彼にエッセイを頼むと、椎名は彼が大好きな趣味、
つまり仲間とアウトドアに行く話を書くのであるが、これがまたおもしろいと
評判になる。そのうちに、日本テレビで「椎名誠と怪しい体験隊」という、
椎名が仲間達とアウトドアを楽しむ様子をそのまま映像にした番組が始まる。
「いざゆけよ仲間達、めざすはあの丘♪」というメロディーから始まるこの
椎名誠2 番組は、椎名誠とその仲間達を一気にメジャーにした。仲間の弁護士の
木村伸介はテレビにコメンテーターとして出まくるようになったし、沢野ひさし
もイラストレーターとして有名になった。日本全国に同じようなアウトドアの
グループが出来て、椎名誠のグループがどこぞに行くとなると、日本のどこ
ででも差し入れが来るようになった。とにかく、椎名誠のアウトドア・エッセイ
と、そのテレビ番組が1980年代のアウトドア・ブームに与えた影響はとても
大きかったのだ。

ぼくらも当時はその影響もあり、福岡近辺の山々を歩き回り、仲間達と
阿蘇や九重にキャンプに行き、とにかくアウトドアに夢中になったのだ。
振り返ると、当時のアウトドアグッズは値段が高かった。今では1000円
くらいで買える椅子が当時は一万円した。それを思うと、当時に比べてアウト
ドアグッズは本当に安くなった。逆に、キャンプサイトの料金は高くなった。
ぼくの時代はまだまだ野生的であり、一泊600円くらいで広場のどこでも
勝手にテントを張ってくれという、民営のキャンプ場が結構あったのだ。
焚火も直火OKでよかったし、自由だった。それが楽しかったのだ。

キャンプの本当の良さは、自然の中の不自由な中で工夫をすることの
楽しさであり、そういう発見をする楽しさなのだが、それが今ではきれいな
芝生なので直火はダメ、決められた範囲で決められたこと以外をしたらダメ
ということになっている。つまりあの当時の野性的で、工夫をいろいろ考える
というおもしろさはもうない。だいいち、キャンプでの一番の楽しみは、焚火を
椎名誠3 燃やしてその火を眺めることである。パビパチ燃える焚火を眺めていると、
ほんとうに飽きないし、そのそばに座って酒をチビチビ飲みながらおしゃべり
をするのがなによりもキャンプの一番の楽しみなのである。

椎名誠はその後、大手テレビ局から世界の秘境を旅するナビゲーターとしての
引く手あまたの誘いがあり人気作家となった。さらに、ビールが大好きだと
いうことで1987年にサントリービールのCMにも出演し、そのバックで流れて
いた「すごい男の唄」という曲は飲み会で大ヒットした。「ビールをまわせ、底
まで飲もう、あんたが一番、おいらは二番、ア、ドンドン」というもので、実に
気分良くよく聞いたもんだ。すると数年後には、森高千里がアサヒビールのCM
で「気分爽快」という曲で「飲もう!」と歌っていたし、ほんとにバブル時代の
どんどん飲もうぜという気分を煽ってくれたものだった。

その椎名誠ももう今では75歳である。今でも旅のエッセイを出すとそれなりに
売れているというからすごい。彼はそれなりのSF小説を書いたり、沖縄を舞台
にした映画も撮ったりしているが、それはそれほど評判になったわけではない。
それでもぼくにとっては、加山雄三、吉田拓郎と並ぶ昭和のヒーローなのである。
(2019年1月)

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