卓袱料理
石の2 長崎名物「しっぽく料理」


観光ツアーで長崎に行くと、昼食は「ちゃんぽん」、
銘々膳1 夕食は「しっぽく料理」ということが多い。
しかし、この「しっぽく料理」というもの、
実は、たいしておいしいもんではない。
和風、中華風、オランダ風の小皿料理が
ズラズラと並んでいるだけだ。

実はこれには、わけがあって、「しっぽく」を漢字で書くと、
「卓袱」となる。要するに「テーブル」である。
つまり、「しっぽく料理」とは、
「テーブルを囲んで、みんなで食事をする」
という食事形態のことであり、
料理の内容がどーのこーのではない。

テーブルを囲んで食事をするというと、
今では当たり前だが、昔の日本は違った。
神代の昔から江戸時代まで、日本ではずーっと、
「銘々膳(めいめいぜん)」だったのだ。
つまり、食事は個別の膳で、銘々に
地べたの上に出された。

ところが、鎖国日本の中で、唯一の海外への窓口だった
長崎で、居留するオランダ人や中国人を見ていると、
大きなテーブルに食事を並べて、みんなで、
その周りに集まって食事をしているではないか。
幕末の長崎人は「へえー!」と驚いた。
おもしろいなあ!と思った。
それを、真似たのが「しっぽく料理」である。
これぞ、日本初の食事風景であり、
その発祥が長崎だったのだ。

やがて、大正、昭和になるにつれて、
畳の上に、丸い卓袱台(ちゃぶだい)を置いて、
家族がそれを囲んで食事するようになり、
飛雄馬の父がひっくりかえしたりする。
やがて、長方形のテーブルも現れ、
ぼくの父は、これもひっくりかえしました。
そして、戦後の経済成長と共に、
花月 椅子に座る、キッチンテーブルが普及し始めて、
現在に至るというわけだ。

その、しっぽく料理をいち早く始めたのが、
有名な料亭「花月(かげつ)」である。
思案橋に近い、花街だった丸山にある。
日本最初の洋間というのもある。
幕末の有名人達がさかんに通った。
「竜の間」という大広間には、
坂本竜馬が残した、柱の刀傷もある。
 ただ、この花月は、
少し敷居が高くて、要予約で、卓袱料理が
一人前15000円と少々高い。
ぼくも、まだ行ったことはない。
お金持ちになったら、行ってみて下さい。




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