石の2 道路清掃スイーパーの補助アルバイト

スイーパー1 自動車道路の清掃をする特殊車両に「スイーパー」というのがある。
歩道の淵に沿って走り、小さなゴミや埃などを、金属のブラシを回して
集め、本体へ吸い取ってゆく。現在の仙台では、昼間に活動している
のを時々見かけるが、1970年代の東京では、夜間に活動していた。
大学生だったボクは、そのアルバイトを一ヵ月間やったことがある。
もちろん補助作業である。スイーパーが来る前には、トラックが走り、
大きなゴミや石などを取り除いておかねばならない。ぼくがトラックの
助手席に座っていて、いちいち降りて行って、それをやるのである。

夜間の作業なので、仕事は日が暮れてから始まる。サラリーマンが
仕事を終えて、飲んで帰る頃の、新橋から銀座通り近辺をやったのだ。
新橋駅前辺りの交差点で、歩道にまき散らされたタバコの吸い殻を箒で
掃いて車道に落とすことも仕事だった。1970年代当時、サラリーマン
は普通に歩きタバコをしていたし、吸殻はそこら辺の道端に捨てるのが
当たり前だったのだ。だから、横断歩道の前はタバコの吸い殻だらけ
だった。それをぼくがホウキできれいに車道に落として、スイーパーに
吸い取ってもらうのである。翌朝出勤してきた会社員は、新橋駅前が
いつもきれいなことの理由を知っていただろうか。オレのおかげだぞ。
といっても、一ヵ月間だけの話だが。

スイーパー2 スイーパーが集めたゴミはとりあえず、首都高速下の空き地に集めて
置き、日を決めてトラックに乗せて、昼間に「夢の島」に捨てに行く。
当時、東京都のゴミは、江東区の海側の埋め立て地である夢の島に
全て捨てられていた。現在のお台場近くである。当時は、何の建築物
もなく、ただただ、夢の島に向かう殺風景な道路と、雑草の生えた野原
だけだった。ゴミ捨て場にはユリカモメが群れていた。それが今では、
人々が自然と触れ合う、とてもきれいな公園になっているのだから、
ほんとに信じられない。あんなに汚かった日本がこんなにきれいに
なっているのに、ほんとに驚くのである。

ぼくはその仕事を一ヵ月という契約でやったのだが、その職場が
最初から、ちょっと変な雰囲気だった。どうも、ヤクザさんの下請けの
会社らしいのだ。こちらは大学生のアルバイトなので、そんなことは
いちいち説明されなかったのだが、そのうちになんとなくわかるのだ。
親分らしい人が現れると、ビシッと緊張感に包まれて、場の雰囲気が
まるで変わるし、その人の一言一言に周囲の人が、かしこまるのだ。
あるお兄さんは後輩を「オレの舎弟だ」という言葉を使っていたし、
トラックの運転をやっているオッサンは、休憩の時に腕時計を見せて、
「どうだ良い腕時計だろうが、上の人にもらったんだ」と自慢していた。
後に知ったのだが、ああいう関係の人が高級時計を身につけている
スイーパー3 のは、何かあって逃亡生活を送る時に、お金に換えるためだそうだ。

その仕事には、もう一人だけ若いアルバイトがいて、細見の長髪の
若い男性で、ぼくよりは少し年齢が上だったが、とてもハンサムだった。
一度、帰りの電車でおしゃべりしたら、実は西城秀樹のバックバンドの
マネージャーをしていると言う。ずいぶん落差のある仕事をやっていた。
一ヵ月だけのバイトだったが、1970年代のことであり、今のそういう
仕事は、ヤクザさんの下請け会社に出すことはなく、公務員の仕事
なんだろうが、懐かしい想い出である。

長崎の夏の精霊流しでは、一晩で億単位の花火と爆竹を使うが、
そのゴミの量が実にすさまじい。中央通りに、その紙屑が雪のように
積もる。ところが、それが翌朝にはきれいに消えている。いつも不思議
に思っていた。いくら人出を動員しても、あの膨大なゴミを回収するのは
無理である。それを可能にするのが、スイーパーだったのだ。
(2018年6月)


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