石の2 昭和のテレビ画面にはテロップは少なかった


テロップ1 いつの頃からだろうか、テレビに過剰なまでのテロップがつくように
なったのは?画面の下に出てくる、文字列である。特に最近は、
バラエティー番組で、ある人物がしゃべった言葉をことさらに強調
するために使うことが多い。それなりにおもしろいし、最近のテレビ
出演者は、昔に比べて大変、早口である。そのために、テロップを
つけてくれないと、何を言っているのかわからないことも実際多い。
昔の、滑舌の良いNHKアナウンサーばかりならば、そんな必要も
ないと思うのだが、今はお笑い芸人がワイドショーの司会をやる
時代である。

昔は、画面処理技術も進んでいなかったので、テレビ画面に
テロップが出るなどというのは必要最小限だった。
ぼくがテレビ番組でテロップを初めて「おもしろい」と感じたのは、
紀行番組で、レポーターが東北の田舎を取材していた時、冬に
鶴が飛んでくるという話に関して、土地の人にいろいろ聞いたら、
土地の訛りがあまりにきついために、標準語に翻訳したテロップ
を流さなければ全くわからないという場合だったと覚えている。
これは必要に迫られてのことで、笑いの演出でなかったが、それが
見ていると大変おもしろく、ゲラゲラ笑ってしまったのである。

次に、テロップが大活躍したのが、1985年にNHKで放送した、
井上ひさし原作の小説をドラマ化した「国語元年」である。これが
やたらとおもしろかった。明治新政府になって、中央集権体制を
作ろうとした時、各藩のお国言葉があまりに独特で、疎通が困難な
ため、全国共通語を作ろうと、文部省の役人が苦労する話である。
役人高官を演ずるのは川谷拓三だったが、出演者が様々な、お国
言葉をしゃべるわけであり、当時のそのままの薩摩弁、会津弁、
などをしゃべるのだから、視聴者には到底わからない。なので、
画面の下に大量のテロップが流れることになった。本当に笑った。
特に、地元出身の佐藤慶の会津弁が秀逸だった。

その後、これがきっかけになったのでないかと思うのだが、
だんだんと、バラエティー番組で、会話を強調するためにテロップが
使われ出したのである。今では普通の番組でも、やたらと採用されて
いて、うるさいと思う人もいるかもしれないが、ぼくはこれがとても
ありがたい。やはり、わかり易いからだ。

実はぼくは、日本の映画を観ていても、時々、字幕が欲しいなあと
テロップ2 思うことがある。特に、黒沢明の映画では、当時の音響技術のせい
なのか、リアリズムの演出なのか、役者達のセリフがくぐっもって、
実に聞きづらいのだ。その前の東映活劇や、東宝の喜劇では、
そんなことはないので、やはりリアリズムを意識したのだろう。
最近でも、日本映画というのは、やたらと怒鳴り出す演技が多い。
つぶやいていたかと思うと、いきなり怒鳴り出す。レンタルビデオを
観てる場合、やかましいので音量を下げると、またつぶやく。何を
言ってるのかわからないのだ。いっそ、邦画にも全部字幕を付けて
欲しいが、そうなると味気ないだろうなあ。

外国映画の翻訳では、会話でもないのに、たった一言のテロップで
観客が大爆笑したという事がある。ザ・ビートルズの映画「HELP!」
がそれである。その中で、ひょうきんなリンゴ・スターが、ビール・バー
の地下に落とされて、びっくりしている時に、窓から猛獣の虎が現れる。
そこで沈黙の中、英語の字幕で「THE・TIGER」と出るのだが、それを
そのまま翻訳して、日本語の字幕でも「トラである」と出る。それだけで、
映画館内が爆発したように笑った。何がおもしろかったのかというと、
タイミングが絶妙だったのだろう。封切館で観たビートルズ世代の人で
なくてはわからないだろうが、テロップが笑いを演出することが、まだ
普通でない時代での画期的な出来事だった。
(2015年3月)


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