石の2 ティッシュペーパーのなかった頃


ティッシュ1 1957年に作られた、アメリカ映画の名作「12人の怒れる男」を
レンタルビデオ屋で借りてきて観た。モノクロで、主人公はヘンリー・
フォンダ。法廷もので、最近、日本にも導入された陪審員制度を
描いたものだが、アメリカではこんなに早くやっていたのかと感心
させられる。ただ、プロの裁判官に混じって、十数人の民間人が
被疑者を裁くという、いかにも荒くれ民主主義っぽい、この制度は
どうみても日本人には向かないだろうと、観ながら思った。

第一この映画のようには日本人は理路整然とした議論はできない。
アメリカでは高校生の頃から討論(ディベート)の訓練をするが、
和をもって尊しとする我が国では、お互いがなるべく言い合いを
しないで決着をするように持ってゆくのが伝統である。なので、
日本人の場合は、討論になると、いきなり感情的になることが多い。
ディベートというよりも、相手の人間性を罵倒しがちになり、アメリカ
人のように後味がカラッとせず、しこりが残るのである。

ティッシュ4 それにこの陪審員には、役所が勝手に全ての国民から選ぶそうである。
まるで戦前の徴兵制の赤紙のように、こんど陪審員に選ばれましたと
突然やってくるわけである。会社員なら、一定期間、会社を休まなければ
ならないという。手当は出るというが、あまりに一方的で、
迷惑である。民主主義に参加しているという喜びは全くない。
アメリカでの陪審員制度は多分、誰もが政治に参加する同じ権利を
持っているという理想の元、生まれたのだろうと思うが、日本の場合、
余計なことに首を突っ込みたくないという人の方が多い。

この映画では、ある犯罪の被疑者に対して、ほとんどの陪審員が
クロであると言うのに対して、主人公だけが、違うのではないかと
推理してあらゆる知能を傾けて真実を追い求め、ついには、
被疑者を有罪だと思っていた他のメンバーのほとんどの意見を
ひっくり返して無罪にするという、それなりに爽快なストーリーである。
だから推理ドラマのようなおもしろさがある。
ただ、これを日本でやろうとした場合、ほとんど荒唐無稽である。
そういうわけで、ぼくはこの映画を見ながら、ドラマのストーリーよりも
別の面に心を奪われてしまった。
それはトイレ周辺のシーンである。

ティッシュ この映画は、場面展開もほとんどないので、限られた部屋しか映ら
ないし、素人の陪審員が一部屋に集まって、評決の白黒を延々と
繰り返すわけだが、時々、誰かが言いだして、トイレ休憩を取ったりする。
その時に、ぼくが興味津津(しんしん)になったものがある。
トイレの洗面所に、今なら日本の洗面所でも普通だが、液体洗剤の
容器があるのだ。掌で押して出すやつ。そして、手を洗った後には、
これも今の日本では普通にあるが、引っ張って回転させる
タオルの設備がついていたのだ。ぼくはへえ!と唸った。
この映画は白黒であり、作られたのはいつかというと、
1957年である。ぼくが5歳の頃だ。
アメリカには、あの頃からもうこんなもんがあったんだ!
と驚いた。当時の日本では考えられなかった設備である。

そして、この裁判所のトイレは当然ながら水洗トイレであるが、
当時の日本はほとんどが汲み取り式の便所だったし、
トイレットペーパーもなく、紙も新聞紙を小さく切ったものを
使っている家庭が普通だった。後に荒いチリ紙に進化した。
小学校への登校時に、母が持たせてくれるのもハンカチとチリ紙
だった。それはさすがに、ずっと柔らかいチリ紙だったが…。
ティッシュ3 もちろん、ティッシュペーパーなどない時代であり、それが日本に
普及し始めるのは1964年の東京オリンピック頃である。

だから当時、アメリカの現代文学を日本語に翻訳する時には、
えらい困ったそうである。ぼくが大学の英米文学科に進んだ時、
若者に一番人気があったアメリカ作家は「ライ麦畑でつかまえて」
のサリンジャーだったが、その発表が1950年であり、その中の
記述にテッシュペーパーが出てくる。しかし、そんなもん、当時の
日本の人々は、見たことも聞いたこともない。翻訳者も悩んだ。
悩んだ末「葉巻き紙」にしたという。それでも、当時の日本人に
とっては、ちんぷんかんぷんだったろう。
今や日本の街角のあちこちで、宣伝用のポケットティッシュが
無料で配られており、そういう風景は日本だけだと聞かされると、
半世紀も経つとこうなるのかと、隔年の感を覚える。

さらに現在の日本では、手を洗うにもセンサーで勝手に水が
出てくるし、回転タオルの代わりに、濡れた手をかざせば温風が
ティッシュ5 吹き出て乾かしてくれるし、さらにはウォッシュレットである。
このお尻をボタンひとつで、温水で洗ってくれる装置というものは、
世界に先駆けた日本の発明であり、アメリカのセレブ達が感激して
トリコになっているという。世界中には徐々に広がっていっていると
いうが、日本では現在、日本中の家庭に広まっており、ぼく自身も
今や、これのないトイレ生活はすっかり考えられないのである。
(2012年)


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