石の2 人類の大発見・窒素化合物


窒素1 2013年に出版された米国人による「食糧の帝国」という本の翻訳本を
読んでみて、人類の歴史上において、窒素化合物というものが、これは
すごいものだったのだなと、初めて知った。ぼくは理系に疎いので、今まで
知らなかったのだが、これがなければ、鉄砲も爆弾も出来なかったし、
逆に人類の爆発的な人口増大も起きなかったというのである。

まず、窒素というのは酸素と共に空気中に含まれているものであり、
大気中の70%を占めている。そして、それは動植物にとっては、必須の成分
でありながら、不思議なことに、大気中のガスのままでは利用できず、
微生物が化学分解してくれ、窒素化合物にならないと体内には取り込めない
のである。ただ、窒素化合物になっても、すぐに人間に有用となるわけではなく、
まず、それを植物が肥料という形で取り込み、農作物として育った後で、
それを人間や動物が食べることによって初めて、アミノ酸、そして、タンパク
質として取り入れ、人間の血肉となり、DNAにもなるのである。
どうして、動植物ひいては人間にも必須のものである窒素がそういう複雑な
順番を得てしか取り込めないかというと、実はそれにはそれで、生命体を
司る壮大なる不思議が存在するのである。

ということで、人間が窒素を取り入れるには、植物を食べる、あるいは、
植物を食べて育った動物を食べるという順序になるわけだが、とにかく、
食べられる植物を育てるところから始まる。そして、農産物が育つためには、
肥料として窒素、リン酸、カリの三大栄養素が必要だということは、今でこそ、
現代人の我々は良く知っているが、古代の人間にはまだそういう化学的な
知識はなかった。ただ、ナイル河が氾濫した後には、土地が肥えて農産物が
よく育つということは経験的に知っていた。それは川の上流に肥沃な土壌を
抱えた大森林があったからである。森の中では、多くの植物や動物や虫が
窒素2 生命活動を行い、それらが腐敗すると、微生物がそれを分解し発酵させ、
それが肥沃な土壌を作り出すわけである。だから、森林伐採をやり過ぎると、
土壌の根本が消えてしまうばかりか、雨も降らなくなる。中近東の古代文明
はそうやって衰退していったのである。今は砂漠地帯である。

その後の人類は、農業に欠かせないものとして、水はもとより、土壌のことを
考えなければならなかった。畑で農作物を作って人間が食べれば、畑には
栄養分が失われるのである。補充しなければならない。それが天然のサイクル
では長時間かかるのである。ところが、畑で収穫後に、レンゲ草やクローバーを
植えると翌年の収穫量が増大することがわかった。これは、豆類植物が根に
根粒菌というものを持っていて、空気中の窒素を固定するからである。
あるいは、牛馬や鳥の糞を畑に撒くと、作物が良く育つということにも気づいて
いた。実はこれも、糞尿が発酵するとことにより、窒素化合物が自然に作られる
からである。人間はまだ化学はわからずに、なんとなく、そういう作用だけには、
気付いていたのである。それが肥料という考え方である。

人糞を集めて穴で発酵させ、畑のすきまに肥料として撒くという日本独特の
方法は鎌倉時代に始まったらしいが、これは昭和まで続いた。ぼくが子供の
頃までは田舎に行くと、あちこちに肥溜めがあり、昆虫採集の時にその中に
落ちた友人もいたし、その強烈な臭いを、ぼくらは「田舎の香水」と呼んでいた。
つまり動物の糞は発酵すると、とても良い肥料になるのであるが、それが長い
年月を経て鉱床になったものを硝石という。昔は大森林があったのに今では
乾燥地帯となっってしまった中近東や南米では、大規模な鉱床が見られ、
立派な窒素化合物なのだが、大昔は、これが肥料と見なされるよりは、実は
火薬の原料として使われてきたのである。

窒素3 火薬の発明は中国・唐だと言われているが、それが鉄砲と共に日本にもたら
されたのは、ポルトガルとの交易だった。日本は戦国時代であり、たちまち
鉄砲は鍛冶技術によりコピーされて、日本が世界一の鉄砲保有国になった。
ところが、黒色火薬の原材料は、硫黄と木炭そして硝石であり、かんじんの
硝石が日本にはなかった。もっぱら、ポルトガルやスペインから輸入するしか
ないのである。そこで、キリシタンに改宗する戦国大名が相次いだ。
やがて、硝石と同じ成分の物は、便所の床を削ったり、ヨモギなどの植物に
尿をかけて時間をかけて合成されることがわかったが、戦国時代の終わった
日本ではもう大量に必要とすることはなくなった。しかし、欧米では武器の
発達と共に火薬の需要はなくならず、やがて19世紀になると、南米で発掘さ
れたチリ硝石が世界中で重要な貿易品目になるのである。

しかし、同じ頃、南米のペルー沖の群島にある、グアノ(鳥糞石)の話が
舞い込んできた。そこは海鳥が群れている島であり、長年かかって鳥の糞や
死骸などが山積して化石状になった土が堆積しているのだが、その土を畑に
入れると、目立って作物が良く育つというのである。古代インカ帝国では、その
ことを知っていて、高地の段々畑にも使っていたらしい。それを聞いた、米国と
英国が、自国の小麦畑などに使ってみると、実際に生産量が数倍になったの
である。1840年のことだが「奇跡の肥料」と言われ、両国がそれらの群島の
領有権を勝手に主張して争いになったという。日本にペリーが来る何十年か
前の話である。そのうちに、南米のグアノは20世紀の初めには、取り尽くされ
てしまい、同じ効果を持つとわかった南米のチリ硝石も枯渇の危機を迎えた。
それで、ヨーロッパではグアノや硝石の成分は何なのか、それを化学合成する
ことが出来ないかという研究が進められたのである。

そして、ついに、ドイツ人のフリッツ・ハーバーが、空気中の窒素からアンモニア
を合成することに成功する。これによって、人類は微生物のゆっくりとした働き
なしに、硝石と同じ成分の窒素化合物を簡単に作れるようになったのである。
人類の食糧不足をこれによって救うことが出来るという、画期的な発明だった。

最初の工場が作られたのが1913年である。ところが、翌年、第一次世界大戦
が勃発する。イギリスが大西洋航路を封鎖したため、ドイツは爆薬の原料の
窒素4 チリ硝石が入手できなくなったが、ハーバーのおかげで、爆薬も無制限に製造
することが出来た。しかし、戦況はなかなかドイツに有利にならなかったので、
ハーバーは同じ製法が爆弾の他に、毒ガスにも応用できることに気付いた。
もちろん、ハーグ条約で毒ガスの使用は禁止されていたが、彼は躊躇しなかった。
1916年には自ら戦場に赴き、使用の監督をしたという。それにより、フランス人を
はじめとする数千人の連合国兵士が悶え苦しんで死んだ。それを聞いた彼の妻は
同じく優秀な科学者であったが、夫婦で言い争うようになり、夫人はついにある日、
庭で自らの心臓を銃で撃ち抜いた。

その後、ハーバーは第一次世界大戦が終結した1918年にノーベル化学賞を
受賞する。窒素化合物の成功により、土壌の肥沃化をもたらし、人類の食糧事情を
著しく改善した功績によるとされている。実際、植物に与える窒素を合成できなけ
れば、世界の人口は1900年の16億人から、今日の60億人にまで増えることは
なかっただろうと言われている。
しかし逆の視点から見れば、そこまでして人口を増やす必要があったのだろうか
という考え方もある。窒素化合物が、元々は、とても複雑な生物の循環を通して
しか得られなかったというのは、生命の合理性が別に存在すると視るのである。
(2015年7月)


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