石の2 妻籠宿と馬籠宿

妻籠宿2 河口湖では、ラビスタ富士河口湖に宿泊した。普通なら
4万円もするリゾートホテルなのだが、コロナ対策のGOTO
トラベルで、宿泊費が35%引きになる上に、富士五湖
キャンペーンで一人5000円引きなので、ほとんど半額に
なるのである。このホテルは南欧風のしつらえがオシャレ
で、部屋からも、室内風呂からも富士山が正面に見える。
それが最高の幸せだった。ただ、この季節、秋には冠雪が
ないので、静岡に住んでいる妹からは「今行っても、ただの
大きな山よ」と言われたが、なんの、実際に行って眺めると、
その存在感はやはりすごい。雪がなくても美しい。充分に
感動したのである。

富士山の次に行ったのは、中山道の宿場町の観光である。
江戸時代、江戸から京都までは、安藤広重の浮世絵でも
知られるように東海道五十三次の旅が有名である。その
旧街道をなぞる国道には今でも昔の面影を残している街並み
がとても多い。そして、同じ江戸から京都に行くのに、海側の
東海道と違ってもう一つ、信州から木曽路を抜けていく内陸の
街道があった。それが中山道である。
東海道には、大井川と箱根という難所があり、浜松付近は
舟でしか渡れない場所もあるが、中山道は一応歩いていさえ
すれば江戸に辿り付くのである。そのため、幕末、皇女和宮が
徳川家茂に嫁いだ時の道中には中山道が選ばれた。
しかし山の中が多いので、近代になって便利なトンネルの新道
が次々に出来ると、旧街道の町は廃れていった。細々と生活を
つないではいたが、いずれは消える運命にあったはずだった。

ところが、1970年から始まった国鉄の「ディスカバージャパン」
という国内旅行を促すキャンペーンによって、そういう古い町並
みがいきなり美しい日本の景色として脚光を浴び始めたので
妻籠宿3 ある。最初は、山口県の萩や津和野が小京都として注目を浴び、
次に、中山道の古びた宿場町である馬籠、妻籠も一気にクロー
ズアップされることになった。テレビやマスコミでも次々に取り上
げられ、若い女性の専門誌であるアンアンやノンノでも特集が
組まれ、それによって古い宿場町が、その雑誌を抱えた若い
女性達であふれ返ったのである。
山口百恵の「いい日旅立ち」という歌が大ヒットしたのもこの頃
である。今では電線も地中化され、タイムスリップしたかのような
観光地になり、日本人の観光客はもちろん、外国人までもが
旧街道の山道を選んで、わざわざ歩いていたりするようになって
いたのである。

しかし、2020年の今年は、インバウンドの外国人もおらず、
平日は観光客の数も少なく、静かな町並をゆっくりと楽しめる
ようになっている。歌人の島崎藤村がここで生まれて育った
のも初めて知った。彼の小説「夜明け前」の冒頭には「木曽路は
全て山の中である…」と書かれているが、確かにこの日に宿泊
予定の名古屋に行くまでは、木曽の山の間を車で延々と降りる
長い道だった。
(2020年9月)

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