石の2 相馬野馬追


馬追 仙台に引っ越した時から、一度は行ってみたいと思っていたのが、
福島県・相馬市の「相馬野馬追(そうまのうまおい)」という祭りである。
北関東から東北にかけての土地は、古来より馬の一大生産地である。
気候的に米作に適さず、荒野が広がっていたが、馬の生育には適して
いて、名馬は必ずこの地方から京に献上されていたという。

相馬市というのは、横に幅広い福島県において、海側に近い「浜通り
地方」にある。相馬藩6万石の城下町で、小さな藩ながら、相馬氏は
平将門を先祖として、房総半島における豪族として鎌倉幕府を支えた
千葉氏から分かれた家系であり、本家の千葉氏が戦国末期に滅んだ
後も、徳川幕府から所領を安堵され、幕末まで続いた名門である。
その相馬藩が幕府から許可を得て、神事として継承してきたのが、
この馬追祭りで、毎年7月23日から3日間、南相馬市・原町の
雲雀(ひばり)ヶ原馬場公園で行われる。

ぼくがこの祭りのことを初めて知ったのは、遥かな子供の頃、この祭りを
図柄にした記念切手が売り出されて、それを買ったことによる。
「へえ、こういう祭りがあるんだ、かっこいいなあ」と思ったのだ。
なにしろ、時代劇映画の合戦シーンでは、馬の走るのをさんざん観て
いるが、本物の馬が走るのは見たことはない。それどころか、本物の馬
でさえ、実物を見たのは、大人になって阿蘇の牧場で草を食んでいる
のを見たくらいがせいぜいだった。

それが仙台に来ると「相馬野馬追」を日帰りで観戦するバスツアーと
いうのがある。よしそれならば行ってみようじゃないかと勇み立った。
しかし、祭り当日が必ずしも日曜日ではなく平日であることが多いので
なかなか行けない。と思っているうちに、2011年の東日本大震災が
起きてしまった。南相馬市というのは福島第一原発がある所に近い。
当然ながら、祭りが途絶えた。しかし、2年後、復興を願って祭りが
復活した。ぼくらはバスツアーに申し込んだ。それが2013年のことだ。

その祭りが行われるのは、南相馬市である。高速・東北道を南下し、
福島県に入って東へ折れて、太平洋側沿いの県道6号を走る。
道路が丘や海沿いを上下しながら進むのだが、時々、道端に
「ここから先は前の津波で浸水した地域です」という看板が現れる。
馬追2 しばらく走ると「浸水地区終わり」という看板があり、また少し走ると
再び「浸水した地域です」という看板がある。その繰り返しだ。
2011年の東北大震災ではここまで津波が押し寄せて来たという
ことを教えているのである。つまり、また同じような大津波警報が
出たら、この先には進むなという警告である。この地域では、
道路が低地になると、その看板が頻繁に出てくる。見回すと、
昔は田んぼだったかなと思われる所が茶色のままである。ああ、
ここは被災地なのだとすぐにわかる。

そして相馬市の「道の駅」に立ち寄って、そこの案内地図で見て
初めてわかったのだが、相馬市のすぐ隣町までが、福島原発の
放射能汚染の立ち入り禁止区域なのだ。薄々は知っていたが、
そのためにこの土地から離れていく人も多いという。
そういう苦境にありながら、地元を愛する人達が、震災から2年
後に、祭りを守ろうと馬追を復活させたという。
ぼくらは仙台からのバスツアーだが、道路のあちこちには、関東
近県からのツアーバスがあふれていた。みんながゾロゾロ歩いて
広い馬場公園に向かい、観覧席に陣取った。快晴だった。

やがて、次々と、騎馬武者が入場してくる。老練な人から若武者、
若い女性武者もいる。みんな背中に旗指物をして実に恰好がいい。
数十人の騎馬武者が勢ぞろいして、代表がマイクで挨拶をする。
こちらは土手の観客席にいて離れているので、顔まではわからない。
そして、ホラ貝が鳴り響き、いよいよレースが始まる。
10騎くらいづつが一斉に走るのだが、ゲートがあるわけでもないので、
スタートライン辺りにウロウロしながら、なんとなく走り始める。しかし、
走り始めたら、さすがに走りを競う様は本気である。実に勇壮な祭り
である。

レースは十数回行われるのだが、中には、武者が途中で落馬すること
もある。走っている馬から落馬するというのは、かなり危険である。常に
救急車が常駐していて、ぼくらが見ている限りでも3人が救急車で運ば
れていった。そして、レース中に武者を振り落した馬というのは、興奮し
ていて、そのまま止まらない。場内にスピーカーで「おおい、馬の持ち主
関係者、誰が止めろお!」と響き渡り、観客席から笑いが起きていた。
それでも興奮している馬の暴走を止めるのは難しいらしく、そのまま
コースを10周した馬もいた。その間、次のレースが出来ないので、
みんな「まだ走っているよ」と弁当を食べつつ眺めていた。

そして、レースが終わるといよいよ、神旗争奪戦である。
全ての騎馬武者が真ん中の広場に展開し、火薬で空中に発射された
黄色い旗を馬を駆って奪い合うのである。これが記念切手にもなった
図柄である。そして旗を手にした騎馬武者は、観客席の間の坂を駆け
上り、貴賓席まで来て褒美をもらうのである。その馬上の横顔の凛々しい
こと。ぼくらは騎馬のすぐ近くまで行って眺めたが、走って興奮した馬の
鼻息が荒く怖かったくらいだ。やはり馬は走ると、興奮するのである。

そして、祭りも終わり、ぼくらがツアーバスに戻って外を眺めていると、
車道を幾つも、騎馬武者がパカパカゆっくり歩いていくのとすれ違った。
添乗員によると、自分の家で馬を飼っている武者は、そのまま乗馬して
公道を歩いて帰るのだという。馬上からニコニコして手を振ってくれたが、
それがどれほど誇らしいことかがわかるような気がした。そういう人が
存続していてこその相馬の馬追なのだろう。
ぼくらは相馬の道の駅で、地元名産の果物を買って帰った。
(2014年6月)

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