丑の日とウナギ
石の2 お盆の夜に墓参りをし、お墓で花火をする街


うなぎ2 今年の7月の丑の日、朝食にはメロンを食べ、
昼にはソーメンを食べ、夕食にはウナギを食べた。
なんという、夏の日らしい食事だろう。

ウナギといえば、諫早市のじいちゃんを思い出す。
諫早(いさはや)市というのは、長崎市の隣の市で、
父の実家があり、じいちゃん、ばあちゃんが
住んでいて、子供の頃は、盆と正月の度に、
泊まりにいっていた。昭和30年代後半の頃だ。

家の前には、きれいな小川が流れていて、
下流は有明海につながっているので、
干潟にいるアカテガニが、川にたくさんいた。

じいちゃんは毎朝、自転車に乗って
下流の川に行っては、ウナギやハゼを釣ってきた。
ビクにたくさん釣ってきた。じいちゃんは、その
ウナギを五寸釘と包丁でもって、自分でさばく。
道楽にしては、たいした腕前だった。
それを焼いて食卓に乗せるのだが、子供のぼくには、
特別にうまいなあと思って食べた記憶がない。
うなぎ3 あまりに普通過ぎたからだろうか。

じいちゃんの死後も、ウナギには因縁があり、
諫早のぼくのいとこは後に、ウナギ卸業を営んだ。
大人になったぼくが、たまに諫早に寄ると、
食卓の上には、ウナギの蒲焼が大量に乗っており、
おみやげもウナギの蒲焼だった。

そして、ぼくの父親がガンで死んだのは、
よりによって丑の日の前日であり、長男だったので、
諫早で葬儀をやったのだが、諫早の親族は、
ウナギの販売で、おおわらわの当日だった。
別にそのせいでもないだろうが、いとこのウナギ屋は
後に倒産した。

諫早といえば、老舗のウナギ屋としては「福田屋」
が有名である。昔は有明海に注ぐ川から釣った
天然ウナギを使っていたのだろうが、
今や、天然のウナギを使う店など、ほとんどない。

うなぎ4 じいちゃんの死後だが、ぼくが中学生の頃、
父と、大村湾に注ぐ川に釣りに行ったことがあって、
その時、大きなウナギを釣り上げたことがある。
通りかかった、地元の男性がほお!と感心したので、
父は、その人に、どうぞとあげてしまった。
父はじいちゃんのようには、さばけなかったのだ。

諫早市というのは、有明海の干拓で有名な町だが、
町の規模は、昔も今もそれほど変わりがない。
こぎれいにはなったが、のどかで静かな、田舎の町だ。
ただ、諫早市の特異なところは、
夏のお盆の墓参りは、夜に行うことだ。しかも、
墓場に提灯を並べ灯して、みんなで花火をする
だから、お盆の墓場の夜は、たいへんにぎやかである。
普通の花火の他に、墓場で平気で火矢を打ち上げる。
ロケット花火みたいなもんだ。すごく派手。
子供の頃は、それが楽しくてしょうがなかった。
普通、墓参りは昼に静かにやるでしょ?

こういう風習は、日本全国で、他には、遠く、
青森県の津軽の大間町にしかないという。
天然マグロで全国的に有名な町だ。
なんでこんなに離れた北と南で、同じ習慣が?と思う。
ひょっとして、海流にのって、こちらの人が
うなぎ5 青森に移住したのではないかと空想する。
実際、青森には、対馬という苗字があるし、
秋田の稲庭うどんの元祖が、長崎県の
五島列島だということも判明している。
秋田出身で、秋田を誇りに思っている義母に、
そのことを話したら、少しうろたえていた。

ウナギに戻るが、この義母はウナギを食べない。
なんでも、ヘビに似ているからダメだという。
こういう、見た目の食わず嫌いが、女性には時々いる。
その影響で、妻の優子もウナギを食べない。
同じく、優子の兄も、ウナギや穴子をほとんど
食べたことがなかったらしいが、彼の場合は、
中年男になって、穴子のおいしさに目覚めたという。
同じようなヘビに似た魚というと、ぼくは最近、
ハモの梅肉添えに目覚めた。夏の美味である。
同じ男として、この美味を、お兄さんにも教えてあげたい。

(2005年7月)

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