石の2 歌枕と、「聖地巡礼」

歌枕1 我が家から歩いて行ける所に、一級河川の「名取川」がある。
仙台に引っ越した頃、なんか聞いたことのあるような名前だなと
思っていたら、古代の和歌に詠まれた歌枕だった。
歌枕というのは、古代の歌人が、和歌に詠み入れた山や川や土地名
であり、その和歌が有名になるにつれて、そのイメージが膨らんで、
後代の歌人にとっての、憧れの対象になった名所である。

その歌枕が宮城県にはけっこう多い。なぜかというと、平安時代に
大和朝廷が、蝦夷を従わせ、東北地方を統治する拠点としての
鎮守府である「多賀城」を置いた土地だったからだ。そこには、
京都から貴族が、代わる代わる、役人として派遣されるのだが、
当時の貴族は皆、なにかしらの歌詠みである。万葉歌人として
有名な大伴家持も、多賀城の長官となって来ている。

京都朝廷の貴族にとって、東北の蝦夷地に赴くというのは、最初は
心が重かったと思うが、実際に来てみると、西国地方とは違う
自然の風景や、風土が新鮮であり、驚き、魅力を感じようである。
東北出張から、京都に帰ってきた公家達は、友人達に、
「おまえら知らんだろう。すげーぞー、見たこともないような景色ばかり
で、見たこともないような花が咲きまくって、天国のような景色だぞお!」
と吹聴しまくったのである。そのため、少なくとも和歌の世界では
ロマンチックな土地として、東北は憧れられたのである。

歌枕2 そして、平安末期に西行法師が東北を旅行し、その紀行文の和歌に
詠んだ歌枕が有名になると、江戸時代には、松尾芭蕉がその歌枕に
憧れて、いちいち訪ね回っては「奥の細道」を書くに至るのである。
名取川も、その歌枕であったし、今の仙台市は、平安時代には
「宮城野(みやぎの)」と呼ばれ、萩の花が乱れ咲く、幻想的な土地と
思われたのであった。しかし、実際の萩の花というのは、雑草にも近い、
紫色の小さな地味な花であり、ずいぶんイメージを膨らませたもの
である。芭蕉は、宮城野の萩について激賞しているが、彼が仙台に
来たのは夏であり、秋の花である萩は咲いていなかった。
想像の世界で、胸キュンして楽しんでいるのである。

そして、似たような現象は現代にもある。
それは、映画で観たロケ地を訪れるということだ。撮影された場所
などは、ネットで検索すると、ほぼわかるようになっているので、
そこに若者がやって来て、仲間と一緒に記念写真を撮るというの
が流行っている。そういうのを、「聖地巡礼」と呼ぶらしい。
気に入った作品があると、日本中のどんな遠くでも出かけていって、
その場所に立って、胸キュンするらしい。

歌枕3 実は、ぼくら夫婦も同じことをやったのだ。近くのレンタルビデオ店
に行くと、「仙台を舞台にした映画作品」というコーナーがあり、
おもしろそうなので、夫婦で観た後に、「これ、あそこじゃない?」と
いう会話になり、「いい風景だけど、あそこに、こんな所があったの?
行ってみようか」ということになり、実際にそこに行ってみると、
「あ!ここだ、ここだ」となにかしらミーハーになって、感激するもので
ある。うれしくなって、「多分、カメラはここから映したのよ!」と妻も
興奮し、「あなた、そこに立って手を振ってみて」と注文をつけられ、
スマホで何枚も写真を撮るのであった。これが現代の歌枕である。

もし、芭蕉の時代に、スマホがあったら、松島でも多賀城でも、歌枕の
前で、同行の曽良に「うまく写せよ」と言いながら、ポーズを決めて
めっちゃやたらと写真を撮りまくっていたのではなかろうか。
(2016年12月)


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