石の2 「山寺」とセミの鳴き声論争


山寺1 仙台に引っ越した当初、妻が地元の仙台市内の
観光名所をいろいろ案内してくれて散歩したのだが、
間を置かず、連れていってくれた観光地が、
冬の山形蔵王の樹氷見物と、初夏の「山寺」だった。
どちらも隣の山形県なのだが、仙台からは意外と近い。
宮城県内の北部に行くよりは、よっぽど近いのである。
特に、山寺は仙台と山形を奥羽山脈を越えて結ぶ
「仙山線」という鉄道のローカル線の県境を越えた
すぐにあるので、宮城県でないにもかかわらず、
「仙台の奥座敷」と、仙台側では言っている。

山寺の何が有名かというと、「奥の細道」の道中の
芭蕉がここで、かの有名な俳句
「しずけさや 岩にしみいる 蝉の声」
を詠んだことで有名なのである。
山寺というのは通称で、正式には立石寺(りっしゃくじ)
という。切り立った山上の奥の院まで曲がりくねった
千十五段の石段を登るので、そう呼ばれている。
その間を高い杉木立が覆っていて、その途中で芭蕉は
蝉しぐれに立ち止まり、この句を詠んだ。

芭蕉が訪れた頃の山寺は、人気(ひとけ)もなく、
ひっそりとしていたが、芭蕉の俳句が評価されるようになると、
来る人が徐々に増え、昭和12年に「仙山線」が開通し、
「山寺」駅が出来ると、観光客がぐっと増え、現在では、
土産物屋や飲食店が立ち並び、観光バスも次々と
来るようになり、石段にも、びっしりと人の列が連なって、
どこに閑けさがあるのか、という風になってしまった。

山寺2 芭蕉は後にそうなることも知らず、ただ蝉しぐれに
感じ入って創作したのだが、その心境に関して、
昭和初期、ある論争が起こった。
その蝉の種類が何か?ということである。
アブラゼミか、ニイニイゼミかという論争だ。
歌人・斎藤茂吉は、やかましく鳴くアブラゼミだと言い、
漱石門下の評論家・小宮豊隆は、いや絶対、
チーチーと、か弱く鳴くニイニイゼミだと主張し、
それが2年越しの論争になった。
しょうがないので、調査が行われた。
すると、芭蕉が山寺を訪れた7月にはニイニイゼミしか
おらず、茂吉の完敗だった。強情で知られる茂吉が
珍しく素直に負けを認めたという。

しかし、ぼくは、やかましい蝉の声に包まれている時に、
静寂を感じるという茂吉の気持ちが、よくわかる気がする。
九州には、東北には生息しないクマゼミという大型種の
ものすごい騒音を出すセミがいて、それが福岡市などでは、
繁華街の街路樹にびっしりと居ついている。その鳴き声を、
東北から初めて九州に来た人が聞いて「ヘリコプターか?」と
空を見上げたという話もある。もちろん、山野にも多い。
ぼくがある時、長崎県の西彼杵半島の、ろくに車も来ない
田舎道で、車を降りた時、その騒音に包まれた。
快晴の空の下、シャーシャーシャーシャーという、
やかましい騒音。でも、そこで感じたのは静寂だった。

山寺3 斎藤茂吉は大正6年から、長崎医専の精神科教授となり、
3年3か月を長崎で暮らしたことがある。当然ながら、
午前中のクマゼミの大合唱を聞いたことがあると思う。
東北の、か細いセミの鳴き声と違って、九州のセミの
けたたましい鳴き声を知っただろうし、それゆえの静寂
をも感じただろうと思うのだ。

しかし、芭蕉の聞いた蝉の声がニイニイゼミだと
立証されると、それはそれで、まだ参拝客の少なかった
頃の山寺を想像し、茂吉は山形出身の東北人に戻って
静かなセミの鳴き声を、納得したのではなかろうか。

ついでに言えば、斎藤茂吉という人は、
精神科医として有名な斎藤茂太や、芥川賞作家の
北杜夫などの父としても有名であるが、実に自然人で、
太平洋戦争中には、日本の戦争を賛美したために、
戦後になってさんざん批判されたが、「何をいう!日本が
戦争をしている時に、日本に味方して何が悪い」と怒って
いたという。むろん、それは戦争賛美者とは違って、ただ
自分の住む国や土地を愛していただけに過ぎず、
東京帝国大学・医学部の学生の頃から、晩年に至るまで、
「んだ、んだ」「んだなす」などという山形弁を終世しゃべり、
山寺4 故郷の山形を愛する心が強かったというから、
そういう素朴な気分と同じようなものだった。

長崎医学専門学校で、長崎弁をしゃべる生徒との
会話はどんな風だったのだろう?と想像すると笑える。
なにしろ、山形弁と長崎弁とでは、相当な落差がある。

話を山寺に戻すと、山寺駅前の土産物店には、どこにも
杖を「どうぞ使って下さい」という風にたくさん置いてある。
なにしろ、千十五段の石段を登るのだから、ありがたいと思う。
ただ、そこには、下って返す時には、何か買ってってねという
意味も含まれている。日本人というのは律儀なもので、
例えば、試食した場合は必ず何か買うという心理を
見透かしてのことである。

ローカル線の駅はたいてい小さいが、山寺駅もホームは
両側になっており、観光客が混むと、時々逆方向の電車に
乗り込むことが多いという。そこで、駅の人が考えて、
仙台行きのホームには、七夕の絵を飾り、
山形行きのホームには、花笠踊りの絵を飾るようにした。
それぞれの代表的な夏祭りである。それによって、
間違う客がぐんと減ったという。
(2008年)

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