石の2 夜明けあと・その2


・米、株、金の相場はバクチだとの説。大蔵省と財界人や学者の会議で、
 合法ときまる。(明治13年)

厠 ・玉ねぎ、札幌地方で栽培に成功。(明治13年)

・京都の守護職より朝敵となった、旧会津藩主の松平容保、
  日光東照宮の宮司に。(明治13年)

・旧大名の華族の夫人。浅草へ外出中、腹痛となる。共同便所へ入り、
  あまりの汚れと臭気で、頭が変になり、療養中。(明治14年)

・仙台の、伊達家につながる名門の美女。町人と結婚。訪れた青年、
 「おいたわしい。せめて出世できる、士族の私のほうが」とくどいて、
  家財を運び出し、よそで同居。(明治16年)

・碑を建てるのが流行している。山陽のある寺に出来た碑の文に、文句を
 つけて裁判で勝った人。相手が訂正しないので、そばに判決文を
  記した碑を建てた。(明治17年)

・英国人、新橋で汽車に乗り遅れる。車引きに「品川で追いつけたら、
  大金を払う」と言う。 引き受ける者あり。4分前に品川に着。
  普通の百倍の料金をもらう。(明治17年)

・宮城県のある村。鉄道が開通、荷物を運ぶ仕事がなくなり、
機関車   とほうにくれる。(明治17年)

・華族の女性は、名のあとに子をつけ、省かぬようにと通達。(明治18年)

・6人を乗せて、2人で引く人力車を製造した者あり。調子がいいので、
  9人を乗せ3人で引くのを作り、横浜・小田原間を走らせると。
 (明治18年)

・相撲の一行、東北・北海道に巡業。宮城、青森は昔からさかんで、見物も
 多く。祝儀の品も山積み。ただし、四角い土俵。(明治18年)

・ 英国、ビルマに侵攻。領土にすると発表。清国は黙認料を取る。(明治19年)

・サンフランシスコで人力車流行。引く者に困り、日本から人をやといたい。
 (明治19年)

・逓信大臣・榎本武揚、防火器を発明と、公開実験。
 小屋は全焼し、失敗。(明治19年)

・水戸の公園に、数千本の梅を植える。名所となるか。(明治19年)

明治03 ・樺太から石狩川へ移住した一族。祖先より伝わる文書を、役所に提出。
  文面は「われ世に出れば、取り立てる。義経」(明治19年)

・宴会の流行はいいが、立食式だと食物の奪い合い、急ぎ食いで、
  戦争のようなさわぎ。みっともない。(明治20年)

・醤油が、世界的に好評。ジャワ島製のも、日本産として出回る。(明治21年)

・ビールを生産すれど、ビン不足。その製造会社の開業を待ちかねている。
  (明治21年)

・警察へ電話をとりつけるのは便利のようだが、東北出身の人と、南九州出身の
 人と、話が正しく伝わるだろうか。(明治21年)

・山梨県下のブドウ。収穫は多いが運送が不便で、利益が少ない。
  ブドウ酒の製造に成功したので、産業として伸びるだろう。(明治21年)

・幼児を貸す商売が流行。乞食や行商の時、連れていると同情してくれるので
 (明治22年)

・日本製のワイン、スペイン万国博で金賞。(明治22年)

明治04 ・2月11日、帝国憲法発布。国内、お祝いの「万歳」の掛け声。
 森有礼は最初、「奉賀!」との掛け声を主張したが、練習で
  叫ばせると「阿呆が」と聞こえ、中止となる。(明治22年)

・鉄道線路に屋根は採算が合わないと、米国より除雪車を購入。(明治23年)

・電話での新年のあいさつ、流行。(明治23年)

・奥様と呼ぶのがはやる。殿様・奥様、旦那様・ご新造様、ご亭主・おかみさん。
  この組み合わせが正しいのに。(明治28年)

・「よくッてよ」の言葉がはやる。山の手の下層から、
 屋敷町の令嬢へと。(明治29年)

・三井・住友両家の婚儀。貨車7両で、箪笥25他の品々を
 大阪より東京へ。(明治30年)

・人力車の発明者、和泉要助。老いて貧苦の生活。
 議会で、恩給支出の提案が。(明治30年)

・米国、ハワイを併合。このままだと、日本領になってしまうと。(明治30年)

警官02 ・ソバが一銭五厘から、二銭に値上げ。銭湯も同様。
 いつも同一歩調だ。(明治30年)

・群馬県の伊勢崎織りが好評。女性の収入が男の倍以上。(明治32年)
 カカア天下。

・巡査はオイやコラを、中流以上の人にはモシモシに改める。中流の基準は
  不明。(明治32年)

・新橋駅の三等待合室に掛時計がなく、懐中時計を持つ
  上等客待合室には、ある。(明治32年)

・近衛師団の軍楽隊、料金を出せば、越後獅子、かっぽれなどの邦楽の
 出張演奏もする。(明治32年)

・板垣退助、変型ザブトンを考案。楽にすわる方法の普及をめざす。(明治32年)

・皇太子ご結婚。在米邦人たちが、お祝いにと自動車を献上した。試運転中、
 不思議そうに見とれる老婦人をよけ、三宅坂の堀に落ちる。宮内省は、
 使用を中止する。(明治33年)

・この年、米国の人口、7600万人。都市に住むのは半分以下。平均寿命、47歳。
 舗装か砂利じきの道路は、計230キロ。電話は13軒に1軒の割合で普及。
 世界の人口、10億6500万人。(明治33年、1900年)

人力車03 ・京浜電鉄の新線工事を、人力車の車引き200名が集まって
  妨害。(明治34年、1901年)

・人力車は有望な輸出産業。エジプトにも輸出。当地では、
 ラバに引かせるように改良。(明治35年)

・ 郵便ポストを黒から赤に変える。評判がよくて、
  遠くても入れに行く人あり。(明治35年)

・秋田県の知事に任命された人、方言の会話に困り、上京のたびに何人かを
 同行。話し方の講習会も開き、改善の傾向。(明治36年)

・自動車のベルを人力車につけるのが増える。
 前の人に声をかけずにすむ。(明治36年)

・左側通行の慣習が乱れ、衝突増加の傾向。
 各警察に、指導するよう内訓。(明治36年)

・車引きは、ひざから上を股引でかくさなければならない。
 他の仕事の者も。(明治37年)

・浅草で、旅順陥落と叫び、号外を高く売って消えた者あり。けしからん。(明治37年)

・外人が吉原遊郭を見て、治安もよく、秩序があり、子供づれの老人も散歩する。
日露  他国に例を見ないと感心。(明治37年)

・無電の完備で、海軍の伝書鳩が不要となる。
 横須賀で二百数十羽、払い下げ。(明治39年)

・冷蔵船の会社が新設。各地の美味の魚が食べられるようになる。(明治39年)

・兵庫県。人力車の先に犬をつなぎ、引っぱる助けをさせるのを禁止する。
(明治39年)

・日本の全人口、4600万人。ただし、台湾は除く。(明治40年)

・東京の自動車が16台となり、警視庁は時速13キロ以下に制限。
(明治40年)

・西園寺首相、有名な作家20名を、自宅に招待しようとした。
  漱石の返事。「ほととぎす 厠なかばに 出かねけり」
   (明治40年)

・丸の内のお堀に、蛍見物の人が多い。戦勝祝いに放ったのが増えた。
(明治41年)

・公文書の文字、太政官令で墨に限られていたが、インキでも可となる。
(明治41年)

・ピアノの国産化は山葉(やまは)氏だが、バイオリンも鈴木正吉氏が成功。
日露02 (明治42年)

・井上馨を総裁に、維新史の事業開始。薩長本位のものになるに
 きまっている。(明治44年)

・東北七藩、維新史作成について、資料の提供を拒否。(明治44年)

・古本屋の主人の嘆き。十年前の学生は本を買ったが、今は着る物が優先。
 (明治45年)

**************************************

以上は、星新一の「夜明けあと」からの一部分の抜粋です。

それにしても、明治維新とは、1868年のこと。
日露戦争が、35年後の、1903年。
明治時代は、明治45年(1912年)まででした。

石の3 最初に戻る