石の2 吉田拓郎というカッコよさ

吉田1 小室哲哉といえば、1990年代のJ-POPの最大のミュージシャン兼
音楽プロデューサーとして、TRF、華原朋美、安室奈美恵などを世に
送り出し、小室サウンドのブームを作った一流の人物である。
その彼が、嫉妬を覚えたミュージシャンが2人いたという。

一人は坂本龍一。この人は、YMOのテクノ・ポップで世界的になり、
その後、映画音楽ではアカデミー賞も取り、今ではほとんど芸術家である。
小室は自分の全盛期にマイケル・ジャクソンと対談したことがあり、マイケル
はYMOとは是非一緒にやりたいと言っていて実際に、坂本の曲をレコー
ディングしたのだが、小室の曲に対しては、あまり関心を示さなかったという。
その時に、坂本と自分との格差を強く感じたという。そして、小室サウンドの
ブームが去ってしまった今、坂本龍一は現在でもアーティストだが、自分は
あくまで職業的ミュージシャンに過ぎなかったのだという劣等感を感じていて、
そういう意味で、嫉妬を覚えるという。

吉田2 そして、もう一人が、吉田拓郎だという。
とにかく何もかも全てがかっこいいし、憧れたという。拓郎は1970年代の
フォーク・シンガーであり、「広島にすごいヤツがいるぞ」と評判になっていた。
しかし、当時は学生の反体制運動が激しく、社会派フォークが全盛だった頃
だ。そういう中、拓郎の曲はそういうのとは無縁な個人の心象風景ばかりを
歌っていたので、コンサートで歌うと、時には軟弱だと言われて、帰れコール
を浴びたり、石を投げられたこともあった。
しかし、学生運動が下火になる頃に「旅の宿」が大ヒットすると、テレビに
出ないにもかかわらず、一躍メジャーの仲間入りしてしまった。いわば、
Jポップの元祖であり、シンガーソングライターの元祖でもある。
小室がメロディーや編曲を複雑にしなければ成功しなかったのに、拓郎は
とにかく単純で簡単に見える曲を作るだけで、多くの人の心を掴んでしまう。
どうしてあんなにカッコいいのかと憧れながらも、嫉妬していたという。

吉田3 そして、ここからはぼく自身の想いだが、ぼくにとっても吉田拓郎というのは、
とにかく「カッコいい」と思う憧れの対象だった。現在、拓郎は71歳、小室は
59歳、そしてぼくはその中間の65歳だが、そのぼくにとって吉田拓郎は、
ザ・ビートルズと共にぼくの青春のど真ん中にいたのだ。
シンプルなメロディーなのに、とにかく魅力的である。それは多分に彼の
声の質にあると思う。彼の曲を他のミュージシャンが歌っても全然よくないし、
やはり彼の声でないとダメなのである。

そして歌詞もシンプルな日本語である。ただ、「旅の宿」は画期的だった。
なにしろ、お酒を飲み過ぎてしまって、もう君を抱けそうもないと歌う。
若い男女が恋人同志になったら、行き着く先はベッドインしてセックスである。
それまでの歌謡曲が、「私の一番大切なものをあなたにあげたい」だの、
吉田3 「夜明けのコーヒーを一緒に飲みたい」くらいの表現でボヤかしていたのを、
吉田拓郎は一気に、旅の宿で男女が一緒に泊まったら、夜にセックスする
のは当然だろ、みたいに歌ってしまったのである。乙女チックなグループ
サウンズ路線を取っていたレコード会社は、おそらく、腰を抜かしたと思う。

そして、拓郎の曲で、特に愛された曲が「夏休み」である。青年の自分が
少年時代の夏休みを懐かしく思い出すという、この単純でのんびりした
曲は、童謡を別にすれば、それまでの日本の歌謡界になかった歌詞で
ある。だから、ぼくらの世代で夏の曲といえば、これが代表である。

ぼくは大学生時代に長崎に帰省の折、初めて彼のコンサートに行ったの
だが、曲の合間のおしゃべりが、いつもの通りの、上から目線であり、
「さあ、長崎の諸君はどのくらいの音楽のレベルかな?」などと平気で言う。
そういうところは本当に生意気で憎たらしいのだが、まあしょうがないかと
思わせるくらいに魅力的なのである。

しかしやがて、吉田拓郎も歳を取ってしまう。絶対にテレビの音楽番組
に出なかった彼が、1996年、当時まだ10代だったジャニーズ系の
吉田5 キンキキッズに篠原ともえも交えて「love love 愛してる」というバラエ
ティー番組にレギュラー出演したのである。50歳だった。最初の頃は、
「オレはオジさんだから、話は合わないよ」と不機嫌そうにしていたが、
やがて溶け込んでいって、キンキに曲を提供して一緒に歌うようになって
いった。後に大病をしたが回復し、またコンサートをやっているようだ。
井上陽水や、小田和正の声も素晴らしいが、ぼくは吉田拓郎の声が
一番うらやましいと思っている。
(2018年1月)

石の3 目次に戻る