石の2 司馬遼太郎と吉村昭


吉村1 司馬遼太郎さんが亡くなった時、ネット上で誰かが、
もうこれで、読むべき歴史小説家がいなくなったと嘆いたら、
誰かが「吉村昭さんがいますよ」と書き込んでいた。
へえ、そうなの?と思って、ぼくも吉村昭を読み始め
これは凄い!と、たちまちハマってしまった。

司馬さんは、歴史小説を書くにあたっては、神田の古書街
からトラック一台分の資料を買い求めたという伝説がある
くらいで、歴史考証がしっかりしているのが魅力だった。
その上で人間群像を、どの人物も魅力的に活き活きと
描き、楽しくてしょうがない小説が出来上がる。
「竜馬がゆく」しかり、「坂の上の雲」しかりである。

ところが、吉村さんは、別の意味でもっとすごかった。
小説の題材にする事実に関して、膨大な資料に当たるのは
もちろん、地元の郷土史家や、事件の生き残りの人や、
子孫にまで徹底的に取材をして、聞き込むのである。
要するに実録であり、その上で出来上がった小説は、
吉村2 記録文学に近い。
司馬さんは魅力ある人間を際立たせるために、資料を
漁るが、吉村さんの場合は、事件そのものに興味を持つ。
事実は小説よりも奇なりというが、
吉村昭の発掘する事件はとにかくセンセーショナルであり、
歴史の裏側を丹念に描く種類の小説なのである。
そのためか、逃亡劇や悲劇が多い。要するに暗い話が多い。
それでもグイグイ引き込まれるのは、リアリティの凄さである。
残念ながら、2006年に亡くなってしまったが、ただ、その
作品数は多いので、しばらくは楽しめそうだ。

前期は代表作「戦艦武蔵」を始めとする太平洋戦争中の
小説が多いが、それは事件に関する生存者への聞き込み
を元に話を展開している。しかし、彼らも老齢であるため
段々と亡くなる人が多く、ある時期になると聞き込みが
不可能になり、後期からは幕末から明治時代の歴史の
発掘による話に移った。

それぞれのどの小説も、エピソードが興味深い。
例えば、戦艦武蔵は長崎三菱造船所で建造されたが、
徹底的な秘密主義だったために、たった一枚の設計図面が
吉村3 紛失しただけで、全作業員はもちろん、設計者までが拷問に
近い取り調べを受けるという話がある。
また、「零式戦闘機」では、名古屋の三菱製作工場で、
世界最速の戦闘機を作っていたにもかかわらず、
その機体を飛行場に運ぶのに、30キロの道のりを
時速2キロの牛車で、ノロノロと運んでいた話。
しかもその間、昭和17年には愛知県に震度6という
大地震が起こって、軍需工場で働いた多くの青少年が
死んでいるのであるが、それも秘密にされたという話。

戦争というと、戦って死んだ人ばかりが記録されるが、
実はつまらない事故で亡くなった人も多い。例えば、
日露戦争でバルチック艦隊を全滅させた日本海海戦の
旗艦・三笠は、佐世保港に帰った後、戦勝を祝う浮かれ
ムードの中、主砲塔にいた水兵が、アルコールランプの
成分を飲酒に使おうとして、火災を起こし、火薬庫に
引火させて大爆発を起こして、港内に沈没したが
その犠牲者は、日本海海戦の犠牲者より多かったという。
また、戦艦・陸奥も事故で瀬戸内海に沈み、あるいは、
イ号潜水艦の中にも、パイプに木片が挟んだだけで、
百何十人が犠牲になった沈んだ事故があったという。
そういう話を吉村昭は小説として、詳しく書くのである。

逃げる話としては、戦時中、撃ち落とされたB29の
パイロットを殺戮したとして戦後に、戦犯に問われた
吉村4 男が日本中を逃げ回る話とか、幕末の高野長英やら、
桜田門外の変で井伊直弼を切った水戸浪士が
逃げまくる話やら、逃げまくる話は大変多い。

その他に、漂流の話も多い。特にすごいのが、ずばり
漂流」という題名の、江戸時代の長平の物語である。
土佐の船乗りで、嵐で遭難し、無人島の鳥島に流され、
13年間を生き抜いて生還するのである。その壮絶さ。
読み出したら止まらないというのは、このことだ。

その他にも、明治時代にヒグマに襲われた北海道の村の
羆嵐(くまあらし)」だとか、日本一有名な脱獄囚の
話だとか、あるいは、「関東大震災」「三陸海岸大津波」
などは歴史上有名な話でもある。さらに「高熱隧道
というのは、有名な黒部ダム建設の苦難を描いた小説
であるが、それをプロジェクトX風の成功物語として描くのでは
なく、その悲劇性をもっぱら描いた小説である。
今では観光地としてバスツアーの人気観光地であるが、
そこに行く前に、この小説を読んでおくと、
体験の味わいが全く違うと思う。
その小説群を読んでいると、吉村昭が亡くなったのは、
司馬遼太郎が亡くなったと同じくらいに惜しいと思う。
(2009年2月)

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