石の2 「逝きし世の面影」渡辺京二


逝きし世1 名著である。江戸時代の末期頃の日本がどういう国だったかを
幕末から明治中期にかけて、日本に来た欧米人が驚きと共に
書き残した膨大な書物の中から引用して、浮かび上がらせている。
その多くは日本礼賛なので、読み流せば単なる江戸ノスタルジー
と思ってしまうかもしれないが、渡辺京二は、これは既に滅亡して
しまった文明なのだという。もう取り戻しようがないのだと…。だから
「逝きし世の面影」なのだ。ただ、こういう日本独特の文明があったの
だということを、大昔のペルシャ文明のように心に留めておいて欲しい、
と言う柔らかい立場でつづっているに過ぎない。

文明と文化に関しては、司馬遼太郎さんが、文明とは人類普遍に
利用できるものだが、文化とは地方独特のものであり、それはそれで
違うからこそ良いものであって大切なものだと説明しているが、
渡辺が江戸時代のそれを文化ではなくて、文明と称しているのは、
例えば当時の日本には、
『貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない(チェンバレン)』
『金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。ほんものの平等精神、
われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで
浸透しているのである(チェンバレン)』
『彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、
富者も貧者もない。これが恐らく人民の本当の幸福の姿というもの
だろう。私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、
果たして、この人々の普遍的な幸福を増進することになるのかどうか、
疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、どの他国におけるよりも
多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と
満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる(ハリス,1857)』

逝きし世2 などの引用から想像すれば、それらが、祭りや衣服や風習の違いという
ような単なる文化とは違うと確かに思わせるのである。
また、欧米人達は日本の自然の美しさにも絶賛を送っている。
それは単に緑や谷の多い風光明媚さを言っているのではない。
田んぼや畑が整地されながらも清流が流れていて、隅々にまで
人の手が加わった清潔さのことを指しているのだ。当時の江戸は、
パリやロンドンの2倍もの100万人の人口を擁しながら、用水路
には鯉が泳いでいるし、道にはゴミひとつ落ちていなかった。
下水道がなくとも、糞尿は全て畑に戻されて土の栄養になるし、
衣服の木綿もボロになるまで徹底的に再利用されるし、畳もわらじ
も全て灰になるまで使われる、完璧なリサイクル社会であった。

そして、「貧乏人は存在するが、貧困は存在しない」と形容されたのは、
当時のイギリスでは、産業革命の結果、貧富格差が極端になり、
貧乏人というのは、いかにも不潔であり、不幸だったのである。
だからこそ、後に、ロンドンで共産主義という思想が生まれたのである。

それに比べて、日本では、官僚である武士の方が、町人よりも
貧しいことも多く、しかも、誰もがそれに甘んじて、陽気であり礼節が
あり、清潔な身なりをしていたのである。しかも、部屋は開けっぴろげ
で、そこに西洋人が持ち物や小銭を置いていても、一切盗まれること
がなかった。誰もがニコニコしていて、相手に感謝しているように思える。
それが欧米人には不思議でしょうがなかったのである。
なんという驚くべき社会だろうと思ったようである。しかし、それも既に
滅んでしまった。なにしろ、西洋の征服欲はすさまじかった。
スペインはインカ文明を滅ぼしてしまったし、アメリカは先住民族を殺し
まくったし、ヨーロッパはハワイや南太平洋の平和な民族を征服し、
さらにインドや、アジア諸国を植民地にしてしまった。
文明を比べてみると、横暴の方が、寛容に勝つのである。
日本が生き残るためには、横暴な西洋文明を採用するしかなかった。

逝きし世3 ところが、日本に来た多くの欧米人達は、当時の日本文化に接する
内に、自分らが日本に開港せよと迫りながら、この国を文明開化
させて西洋化させるには、あまりに惜しいと書いているのである。
しかし、とにかく日本人自身の選択により、日本はそれまでの
誇るべき文明を捨て去ってしまったのである。しょうがなかった。

渡辺京二は1930年生まれで、戦後すぐ共産党に入るが、8年後の
ハンガリー事件で共産党に絶望して離党した人物である。やはり若い
頃は理想の国を目指した若者だったのだろう。それが彼をして、
共産主義に絶望した後に、昔の日本に、単なるノスタルジーではなく、
文明を発見したのである。とにかく、彼は、この本によって、日本は
江戸時代に帰れと言っているのではない。ただ、淡々とそういう日本
文明が存在したと言うだけである。

2011年3月11日の東北大震災の直後、日本人の振る舞いを見て
世界中の人々が、素晴らしいと驚いていることに、日本人自身が
驚く、という現象があった。ただ、それは日本が捨て去った文明の
残像なのだ。相変わらず、世界は欧米のパワーゲームで動いている。
(2014年10月)


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