石の2 映画「君の名は。」の原点は閖上だった

ゆりあげ1 東北大震災から6年目となる、今年の3・11のテレビの特集番組
で、日本のアニメ映画史上で記録的な大ヒット作品となっている
「君の名は。」の監督の新海誠さんが、この作品の発想の原点と
なったのが、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区を、津波から
4か月後に歩いたことだったと話していた。
その時に歩いている時の映像も流れたが、まだ壊れたままの家屋
や、潰れた自動車などが背景にある。彼は、もし自分がここの住民
だったら、死んでいたかもしれない、そういう運命もあり得ると思っ
たそうだ。しかし、実際の自分は他の場所にいて生きている。もし、
ここに住んでいる自分に、別の場所で生きている自分が「逃げろ!」
とメッセージを送ることが出来たら…と、イメージを膨らませたそうだ。
なるほど、そういわれてみると、あの映画がすごくよくわかる気がする。

宮城県・名取市・閖上(ゆりあげ)というのは、仙台市南部の、ぼくが
住んでいる内陸からは、車でほんの30分くらいの港町である。
とにかく砂浜が雄大であり、延々と南北に続いている。その砂浜の
手前に、松林があり、そこに名取川が流れ込む河口と、人工の運河
があり、その周辺に町が形成されていた。砂浜には海水浴場があり、
日曜日には朝市が立つ、そういうのどかな町だった。
しかし、10mの大津波がその町を根こそぎ流してしまった。銀行も
郵便局も全て海水の下になった。今、そこを歩きながら思うのは、
ひょっとするとぼくも同じ悲劇にあっていたかもしれないということだ。
なにしろ、閖上はぼくらが海に遊びに行こうと思う時、最も近い場所
であり、その朝市には何度も行っていたからである。

そして現在残っているのは、瓦礫を片づけた後の、だだっ広い更地
だけだ。ただ、最近は朝市の跡に、カナダの寄贈でオシャレな
メイプル館が建ち、朝市も復活している。ただ、住宅は建設されない。
家を流された人は、ひとまず内陸の公的支援の仮設住宅に住み、
次に有料の復興住宅に移るのだが、閖上地区がこの先、どういう
ゆりあげ2 地域になるかは、未定である。

なにしろ、東北の太平洋側の海辺は、昔から江戸時代、明治時代、
昭和時代と何回も津波の被害を繰り返し受けてきたのである。
しかしそれまでは、災害対策といえば、過去の津波はここまで来た
という碑を作るくらいだった。戦前の話だ。だいたい、昔は住宅街が
津波にあって家を失っても、国が仮設住宅なんて建ててくれなかったし、
親戚を頼るしかなかった。ただ、土地だけはあるのだから、片づけが
住めば、いずれまた、自分でそこにまた家を建てるしかなかったのだ。
だから、いつの間にか同じ場所がそのまま住宅街になっていったので
ある。

しかし、今回は歴史を考えると、この土地には、何十年か先にもまた
津波がやってくる可能性がある。地震だけならば、耐震を考えた
建築物を作って町を容易に復興できるが、大津波というのは、想像を
越えた被害をもたらす。実際、岩手県田老町は10mの防潮堤で守ら
れていたが、波はそれを崩して、町を消し去ってしまったのだ。
現在、閖上は盛り土をして、土地をかさ上げしているが、再びこの土地
に住みたいという人は激減している。その場合、町の復興というのは、
どういうことになるのだろう。それが、今回の被災地の復興の難しさで
ある。
(2017年4月)


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